diary

文化系理系。システムエンジニアだし、小説の翻訳をする。休みはすかさず旅行にでる。

本当はちがうんだ日記 p.168 ベティによろしく

「暖かい、幸福なクリスマスを。ベティによろしくね。」1904

このカードを贈った人も受け取ったひとも、もうこの世にはいない。「よろしくね」と云われたベティも、もうこの世にいない。

でも、生々しい手書きの文字と優しい言葉は、今、確かにここにある。私の手のなかにあるのだ。「いない」と「ある」のふたつが強烈に響き合って、私はくらくらしてしまう。

一〇一年前の優しい気持ちは、いったいどこへいったのか。消えてしまった?いや、それは確かにここにある。でも、愛の挨拶を交わし合った彼ら自身は永遠に消えてしまった。

 

死が怖い。大事なひとの死が怖くてたまらない。心臓が止まって、燃やされてしまって、もういなくなって、ついこの前まではいたのにもういなくて、もう声が聞けなくて、顔が見られなくて、さわれなくて、優しい顔でほほえんでくれることはもうなくて、世界から消えてしまって、それなのに世界はあり続けて。

怖くてたまらない。今私が何よりも大事にしているすべてがいつか消えること。

優しさを滲ませる声

言葉にすると月並みだけれど、よく笑って、よく笑わせたがって、声に話し方に優しさの滲むひとは、やっぱり素敵だ。

 

何が、優しさを滲ませてるのだろう?

柔らかなことば選び、相手を楽しませようとするトーン。飾らず、明るい話題。目を見て話す、目を見て聞く。

 

魅力的だなあと思った。

飛ぶ教室 p.18

人生で大切なのは、なにが悲しいかではなく、どれくらい悲しいか、だけなのだ。子供の涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない。ずっと重いことだってよくある。どうか誤解しないでもらいたい。不必要にメソメソしようと言っているのではない。つらいときにも、正直に言ってほしいだけなのだ。骨の髄まで正直に。

 

『骨の髄まで正直に。』

すごくいい。

 

他の誰かにとってはごくごくちっぽけなことでも、自分にとってはもう何もかもおしまいみたいに悲しくてたまらないことがある。間違いなくある。この悲しさは誰の悲しさとも比べられない。世界にはごはんも満足に食べられない人だっているんだ、なんて言われたとしても、もちろんそれも悲しいことなんだけれども、それでもこのたまらない悲しさは私にとってはたまらなく悲しい。何よりも悲しい。

 

会社に行って、仕事なんかしちゃって、「おとなだから。」なんて言ってる私だけど、ひとの涙を軽んじたりしない。正直に言ってほしい。骨の髄まで正直に。

私も、変に自分を人と比べて自分の悲しみを軽んじちゃいけない。骨の髄まで正直に悲しむ。特に大事な人に対しては。

初恋と不倫 坂元裕二 p.73

人には思春期というものがあって、その時期に出会ったもの、好きになったものは、それ以降に出会ったものとはまったく別な存在になるように思うのです。言い換えれば、思春期に好きになったものがその人のすべてになると思うのです。

 

 

初恋と不倫 坂元裕二 p.72

『きっと絶望って、ありえたかもしれない希望のことを言うのだと思います。』

 

あの時、ああしておけば。

どんなに強く思っても、時間は戻らない。

 

私の人生において、背泳ぎでオリンピックに出て金メダルを取ることがもう不可能であるということには、特に絶望はしない。そもそも、背泳ぎができない。求めていないもの、一瞬でもありうると思ったことがないものに対しては、絶望のしようがない。

 

でも、うまくことばを選べなくて、伝えらなかった気持ちや、

大事なタイミングを逃した恋や、

これで良かったのか今も自信が持てない進路は、

 

絶望だ。

 

ありえたかもしれない希望、が見えるから。

 

 

初恋と不倫 坂元裕二 p.39

『悲しみを伝えることって、暴力のひとつだと思います。』

 

仲の良い高校の同級生がいた。

高校時代の彼は、バカみたいに明るくて、バカみたいに正直で、いわゆるクラスのムードメーカーで、マスコットだった。人を巻き込む力があって、何をしてもなぜか許してもらえる愛嬌があって、おまけに帰国子女で英語もペラペラだった。声が大きくて、何を話していても目立った。

でも、人より少しばかり劣等感を感じやすかった。

同級生に対してなぜかすごく劣等感を持っていたみたいだった。

 

「もう高校のやつらと会うのつらいんだよ。自分が恥ずかしくなる。」

浪人の一年間、深夜にSkypeをかけてきては、よくそう言っていた。

 

だから、高校の同級生が誰もいない、彼自身の縁もゆかりもない、遠くの地方大学に入った。

はじめは楽しそうだった。初めての土地でたくさん友達を作って、のびのびしていた。

 

年に一回は会っていたが、だんだん彼の口から出る話が暗くなってきて、

「自分の成長できなさが嫌だ。何もできない。もっと自分に厳しくなりたい。」

「自分のことを殴ると、その痛みで安心できる。」

「この前まで入院してた。死にたくなって、睡眠薬一瓶飲んだから。」

「前の彼女のこと、殴ってた。そんなに痛いなんて思ってなかった。ある日突然、彼女が痣だらけなのに気づいた。」

 

会うたびに彼は、「俺はダメな奴だ。」と繰り返した。

私はいつだって、「ダメじゃないよ。高校時代、私は君になりたいと思っていたし、尊敬するところがたくさんあるよ。ダメじゃないよ。」と繰り返した。

 

私は心から正直な気持ちで彼を励ましたが、何を言っても彼は聞かなかった。

ずっと「でも、俺はダメな奴だ。」と言い続けた。

私もだんだんつらくなってきた。正直な気持ちで言っていることを否定されるというのは、私自身を否定されているように感じるから。

 

悲しみを伝えることが暴力にもなりうると感じたのは、このときだけだ。

好きな人たちの悲しみは、暴力になりえたとしても、私は受け止めたいなあと思う。