香りの記憶
おみやげなんにも買ってこないで
いい匂いだけで帰ってくる
おかあさんも知らないような香り
わたしはわたし
あなたはあなた
(柴田聡子「あなたはあなた」)
ドキドキした。
あまりにセクシーではないか。
香りは目に見えないし、香りを表すことばもあまり多くない。
五感の中では普段あまり意識しないほうのような気がする。
だけど、たまにある。
ふっと漂う香りと、呼びおこされるつよい記憶。
休日に道を歩いていたらどこかから流れてくる、異国の香り。
かつての旅先で訪れた家と同じ香りで、そこで会った人の顔、声、着ていた服、一緒に食べた食事、なんかが一気に蘇ってくる。
なんとなく普段のと違う種類を買った、衣類用スプレー。
シュッシュッ
なんだか、初めて行ったおしゃれなレストランを思い出す。船の上の。
すごくドキドキしたやつだ。
でもなぜ?
そういえばこのスプレー、実家で使っていたものだ。
そして、初めてドレスコードのあるレストランに行った時に着ていたワンピース。
行く前にあわてていっぱいスプレーしたんだった。
そうだ。
衣類スプレーで、今まで忘れていたあの船の上のレストランのことが
隅々まで思い出せるなんて。
「ずいぶん昔に別れた、すごく好きだった彼女のこと、普段は全然思い出さないんだけど。
この前、すれ違った女の人の香りが、彼女がつけてた香水の匂いと同じで。
思い出に襲われて。こんな些細なことで? って自分でも引いちゃった」
そういえば、友達もそんなことを話していた。
普段いちばん意識していないから、香りの記憶は不意打ちで蘇ってくる。
しかも信じられないくらいの密度と鮮やかで。
おぼえた覚えないのに。
こっそり、恋人に自分の香りをおぼえてもらえないだろうか。
なんでもない時に、ふっと不意打ちで襲っておきたい。